南アフリカ、西ケープ州スワートランド地方のパールデバーグ山の麓に位置するモレリグ・ヴィンヤーズは、アンドリュー&ブランドン・ワイトマン父子のデュオの領地である。すべての始まりは、2011年。建築請負業を生業としていたアンドリューと妻のエリーズは、牛の飼育に使う広い土地を探していたところ、当時ラムズフック所有の広大なぶどう畑が売りに出されたのを知り、山の反対側にある小さな牧場に住んでいた彼らが見つけた。最終的に当たり一帯に咲いていた紫色の藤の花に惹かれた二人はぶどう畑の購入を決意。それがモレリグ・ヴィンヤーズの始まりだった。山の反対側からアンドリューはこの農場に引っ越してくると、牛を飼うスペースを確保するため、24ヘクタールものぶどうの樹を取り除く計画を立て始めた。しかし、その計画が知れわたると隣人たちから「私たちがオーガニックで育てた24ヘクタールものぶどうの樹を取り除くなんてとんでもない。どうかぶどう畑を残してほしい」と抗議され、そのぶどうの樹を残すという事実を受け入れるしかなかった。その隣人の1人がラムズフックにいたクレイグホーキンス(現テスタロンガ)だった。アンドリューは、やむなく承諾し、農業を始めたがすべてはクレイグとヤルゲン(当時ラムズフック、現インテレゴ)から教わりながらぶどう畑存続のために続けた。ある日、またクレイグから今度はワイン造りをするべきだと言われたアンドリューは、やったことがないし、難しそうだからやれないと一度は断ったが、試しに1樽だけ赤ワインを造ることにした。その最初に造ったのが飲めたものではない最悪のワインになったが、それからクレイグとヤルゲンからワイン造りを勉強し、売れるようなワインを造れるようになってきたが建築請負業を生業としていた彼は、全く販売に興味がなく、友人や家族用にリーズナブルに飲みたいだけだった。ちょうどそれが2016年で、私たちはクレイグやヤルゲンにアンドリューを紹介していただき、2017年より彼らのワインを日本で紹介しています。(インポーター資料より)