医師としてのつらさを癒してくれるのはぶどうの樹々!本職は放射線科医師である一方、祖父の代から続く農園を2012年に引き継ぎ、ぶどうとオリーブ栽培、そしてワイン造りに情熱を注いでいるルッジエーロ氏。医師という立場柄、嫌でも病気が見えてしまう、場合によりそれを患者さんに伝えなければならない現実の辛さを樹齢60年超えのぶどうが和らげてくれるという。彼の畑があるのは、ローマ時代からの港町、今でもリゾートとして有名なバルレッタ。でも海にはほとんど行かず休暇は全て畑で過ごす。生家は決して裕福ではなく、勉強のかたわら14歳から医学部を卒業するまで学資を得るため夏休みを利用して畑仕事を続けた。おかげで農業の知識は十分にあり、生化学、生物学などの基礎知識がぶどう造り・ワイン造りに大いに役に立っている。また、チェファリッキオの元醸造家パスクワーレ・パストーレ氏をエノロゴに迎えたことも大きかった!土地のぶどうの味を変えることなく、そのままワインにしたいというルッジエーロの考えと醸造家の考えは完全に一致し、無農薬栽培、自然酵母発酵、ワインの無調整は言うまでもなく守られている!ワイン造りに本格参入したのは、ミシュラン一つ星シェフに後押しされたから!おじいさんが造っていたワインを馬車で運搬していた頃から一緒に過ごし、子供の頃に嗅いだ樽のワイン香が忘れられないとのこと。当時のプーリアのワインといえば高いアルコールと強いタンニンを隠すことなく、もっぱら北イタリアやフランスにバルク売りされていた時代。その時の記憶を忘れることなく、土地の品種で土地の味を持ったワインをもう一度造りたいと考えていた!そのころ、自分用に作っていたモスカートを友人に分けていた。その中には地元の名店ミシュランの星付きレストラン、「バッコ」のオーナーシェフ、フランコ・リカーティも。その彼から「地元のモスカートのうまさが出ているワインを本格的に造ったらいい、お前なら出来る」と、ワイナリーを立ち上げる前から有名シェフがお墨付きを与えるほどのレベルだったのだ!またほぼ同時期、農園をどうするかと考えていた時に、同僚医師からクリニックを開業しないか?と誘いを受けた。でも彼は「人生は仕事と金だけではない」と使える資金は全て農園とワイナリー設置に回した!「病院をやっていたら、とっくに資金の回収もできていたはずだけど、畑で自然に向き合える人生のほうがよっぽど意味がある」とはっきり言い切る!(インポーター資料より)